かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
かつては賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた垣花 垣花といえば豊富な水、それを利用した稲作、そして戦後は近くにできたキャンプ知念で、集落の7割もの人たちが軍雇用員として勤務、という歴史を前回ご紹介しました。ということ…
かつては賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた垣花 垣花といえば豊富な水、それを利用した稲作、そして戦後は近くにできたキャンプ知念で、集落の7割もの人たちが軍雇用員として勤務、という歴史を前回ご紹介しました。ということ…
地域の生活を支えた「垣花樋川」。しかし水汲みには一苦労 沖縄では井戸や湧水地などの水場が、聖地として地域信仰の対象となっています。中でも「樋川(ヒージャー)」と呼ばれる水場は県内各地にあり、貴重な水源として…
百名小学校前が地域の中心。カジマヤーの棒術が披露された 百名のシンボルといえば、百名小学校です。沖縄戦直後の1945年7月に設立、当初は近隣の収容所にいた子どもたちが学ぶための学校でした。余談ですが、現在与那原町にある知…
皇室に献上するためのコメを栽培する特別な水田「献穀田」が存在した百名 南城市では南部に位置する旧玉城村、その右端に位置しています。バスのターミナルがあるので、比較的知名度が高い場所で「ひゃくな」と読みます。かつては集落…
数百年に渡って悩まされてきた「水問題」。島内で真水は殆ど手に入る場所は殆ど無かった 前回、奥武島の戦後は米軍との交流の歴史であることをご紹介しました。スポーツやイベントの交流はもちろんですが、大切なのがインフ…
天ぷらで一躍有名になった南部の観光スポット。実は米軍との濃密な交流がある島だった 「奥武島(おうじま)」といえば、南部の有名な観光スポットですね。名物といえば橋を渡ったすぐ右目の前にある、大行列の天ぷら屋さん。那覇から…
仲村渠の農耕地帯『下田地区』。かつては広大な水田が広がっていた 前回、仲村渠は国道331号線を境に右と左に分かれていて、右側が『下田』と呼ばれているとご紹介しました。 名前の通り、下田地区は田んぼがたくさんある地域でし…
沖縄県の難読地名の一つ『仲村渠』、これは『なかんだかり』と読みます。南城市の右下に位置する集落で、水場でもある仲村渠樋川が有名です。住民はそれほど多くない集落なのですが、琉球ゴルフ倶楽部の殆どを占め、国道331号線を超…
戦中は日本軍の兵舎や物資集積所、戦後は診療所や役場として使われた富里公民館 『富里(ふさと)』は、かつての玉城村役場があった場所なので、玉城村の中心地とも言える地域でした。歴史は古く、第一尚氏の第六代の王、尚泰久の長男と…
旧玉城村にある糸数。糸数城址や沖縄戦跡『アブチラガマ』がある集落です。それほど大きくない集落なのですが、かつては交通の要所として大切な場所でした。それは、1950年代~70年代の頃です。現在の琉球ゴルフ倶楽部は『キャンプ…