現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里

現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ おきなわアーカイブ

平成が終わり、時代は令和となりました。時代とともに色々なものが変化していきますが、大きく姿を変えていくのが『まち』そのものではないでしょうか?特に沖縄は、基地の影響や米軍統治など、歴史的に内地とは異なった独特なまちづくりが行われてきました。
そんな貴重な昔の風景を残しているのが、地域にたくさん眠っている『古写真』です。

「昔の沖縄ってどんな風景だったんだろう?」
「昔の沖縄はどういうまちづくりがされていたんだろう?」
「昔の沖縄の人はどんな生活をしていたんだろう?」

こんな疑問に応えてくれるのが古写真。そう、古写真は地域の歴史や事実を伝える『超一級の資料』なんです。この「おきなわアーカイブ」では、地域から集めた古写真など貴重な資料をもとに、意外な沖縄の歴史をご紹介していきます。今回は、南城市の『旧玉城村富里』を取り上げます。

戦中は日本軍の兵舎や物資集積所、戦後は診療所や役場として使われた富里公民館

『富里(ふさと)』は、かつての玉城村役場があった場所なので、玉城村の中心地とも言える地域でした。歴史は古く、第一尚氏の第六代の王、尚泰久の長男と次男がこの地に居住していたとされています。周辺にはグスクや第一尚氏関係者のお墓など、様々な文化財もあります。

 そんな富里には、公民館の古写真がたくさん残っています。少し話は逸れますが、沖縄の場合、公民館といっても公立ではなく、『字(あざ)』の住民によって建てられた『字公民館』が、多数存在しているのが特徴で、地域活動の拠点として利活用されています。

富里も『字公民館』です。住民の活動拠点ということもあり、各地域で多くの写真が残っていますが、富里で最も古い写真が以下のものになります。

現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ
終戦後の隣保館(今の公民館にあたる)写真は村婦人会の講習。1950年代?1946年には村役場にもなった。

1950年代に撮られたとされる写真です。木造でトタン屋根、物資のない時代に寄せ集めの材料で建てられました。玉城村の中心ということもあり、一時期はこの建物が村役場、そして診療所としても使われていたそうです。

そして、写真は残っていないのですが、戦前にもこの場所に公民館があり、日本軍の兵舎や物資の供出場所の拠点としても使われていましたが、戦争で半壊しました。それで建てられたのが、上記の建物となります。

 その後、雨漏りもひどくなったことから、1962年、新たに公民館が建てられます。それがこちら。

現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ
公民館落成祝 1962年5月。当時の区役員などの記念写真。

 地域住民総出で建築が進められ、味のある『富里公民館』の文字は、地域の名士でもあった中山俊彦さんという方がお書きになったそうです。住民の活動拠点となっただけでなく、一時期は保育園としても利用されていました。

現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ
富里婦人会 1964年4月1日。当山初枝様ご提供。
現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ
富里公民館。撮影年代不明(1960年代?)。公民館前は子どもの遊び場でもあった。南城市教育委員会所蔵。

現存する旧富里公民館。1960年代に建てられた公民館が残っているのは非常に珍しい

平成に入り、老朽化のため正面の敷地に新しい公民館が建設されましたが、旧公民館の建物はまだ現存しています。現在は木工職人の方が借り受け、アトリエとして使用されています。

現存する貴重な建物。1960年代に建てられた旧富里公民館 / 南城市旧玉城村富里|おきなわアーカイブ
旧富里公民館を利用したアトリエ。2015年。

沖縄では最近、各地の公民館の新築や改築が進み、1970年代以前に建てられた公民館はほぼ姿を消しました。その中でも、旧富里公民館は現存する貴重な建物です。沖縄の戦後建築のシンボルと言っても過言ではないので、もしお近くに行くことがありましたら、寄り道されることをオススメしますよ。

(協力:南城市教育委員会  監修:沖縄デジタルアーカイブ協議会)