時代とともに色々なものが変化していきますが、大きく姿を変えていくのが『まち』そのものではないでしょうか?特に沖縄は、基地の影響や米軍統治など、歴史的に内地とは異なった独特なまちづくりが行われてきました。
そんな貴重な昔の風景を残しているのが、地域にたくさん眠っている『古写真』です。
「昔の沖縄ってどんな風景だったんだろう?」
「昔の沖縄はどういうまちづくりがされていたんだろう?」
「昔の沖縄の人はどんな生活をしていたんだろう?」
こんな疑問に応えてくれるのが古写真。そう、古写真は地域の歴史や事実を伝える『超一級の資料』なんです。この「おきなわアーカイブ」では、地域から集めた古写真など貴重な資料をもとに、意外な沖縄の歴史をご紹介していきます。
今回も南城市の『旧知念村安座真』を取り上げます。
安座真の代名詞「ヌーバレー」。200年以上の歴史を持つ
安座真と言えば「ヌーバレー」抜きには語れません。ヌーバレーとは、南城市の各地で行われている旧盆明けの行事で、各字の公民館や広場に舞台が設営され、様々な余興を行うことで先祖の霊を供養するというものです。諸説ありますが、血縁者がこの世にいない霊を地域全体でもてなし、お見送りするという意味合いもあるそうです。「ヌー」は水が流れる場所で、色んな霊が集まってしまうことから、悪い霊を追い祓う(バレー)という言葉が語源だと言われています。
安座真でも毎年旧盆最終日の翌日に、地域を挙げてヌーバレーが行われており、その歴史は200年以上だそうです。今回は1950年代後半と思われるヌーバレーの写真をご紹介します。
普段はほとんど人の姿が見えない安座真ですが、ヌーバレーの日は「こんなに人がいたんだ!」と驚くほどの人混みで賑わいます。同じ日に何箇所かでヌーバレーが行われることもあるため、はしごして楽しむという「ヌーバレーマニア」いるそうです。
昔はカメラが高級品だったため、ヌーバレーそのものの古写真は非常に少なく、この古写真は大変貴重なものです。舞台の形や材料なども比較的鮮明に記録されており、多くの情報を読み取ることができます。
(協力:南城市教育委員会 監修:沖縄デジタルアーカイブ協議会)