『クジラ漁』の一大基地だった津波古・馬天港/ 南城市旧佐敷町津波古(その2)
『クジラ漁』の一大基地だった津波古馬天港 前回は津波古周辺が戦前戦後、基地の街だったことをご紹介しました。1960年代には撤退しましたが、それまでの津波古は南部でもかなり栄えた街の一つでした。基地があれば仕事がある、仕…
『クジラ漁』の一大基地だった津波古馬天港 前回は津波古周辺が戦前戦後、基地の街だったことをご紹介しました。1960年代には撤退しましたが、それまでの津波古は南部でもかなり栄えた街の一つでした。基地があれば仕事がある、仕…
終戦直後、米軍にとって主要な軍港の一つだった津波古・馬天港 与那原から国道329号線を5分ほど南下すると、南城市に入ります。ちょうどその入口に当たるのが、旧佐敷町津波古です。『津波古』というY字路の交差点がありますね。右…
戦中は日本軍の兵舎や物資集積所、戦後は診療所や役場として使われた富里公民館 『富里(ふさと)』は、かつての玉城村役場があった場所なので、玉城村の中心地とも言える地域でした。歴史は古く、第一尚氏の第六代の王、尚泰久の長男と…
かつては県内屈指の米軍基地の町だった南城市一帯 『沖縄の米軍基地』といえば、宜野湾市や嘉手納町、北谷町、沖縄市、そして名護市辺野古などの中部から北部に集中しています。しかし、かつて旧玉城村(現:南城市)に米軍基地が存在…
沖縄県内屈沖縄県内屈指の「遠足のメッカ」だった『大里城址公園』 『大里城址公園』と聞いて「懐かしい~」と思った方はおそらく50歳以上の方のはずです。なぜならば、かつては沖縄県内における遠足のメッカだったからです。南城市大…
新興住宅地の『新開』。人口増加のため埋め立てで作られた地域 南城市にある馬天港に隣接する『新開』地区は、歴史がまだ浅く、文字通り『新しく開かれた』地域です。というのも、1960~1970年代にかけて埋め立てて作られた場…
旧玉城村にある糸数。糸数城址や沖縄戦跡『アブチラガマ』がある集落です。それほど大きくない集落なのですが、かつては交通の要所として大切な場所でした。それは、1950年代~70年代の頃です。現在の琉球ゴルフ倶楽部は『キャンプ…
久高島と聞いて何を連想しますか? ほとんどの方が『イザイホー』という12年おきに行われていた神事を挙げるのではないでしょうか?『神の島』とも言われ、島全体が聖地となっており、立入禁止の御嶽もたくさんあるという神聖な場所で…