たくさんの地域行事が行われてきた仲村渠公民館と1960年代では珍しい風景写真 / 南城市 旧玉城村仲村渠
沖縄県の難読地名の一つ『仲村渠』、これは『なかんだかり』と読みます。南城市の右下に位置する集落で、水場でもある仲村渠樋川が有名です。住民はそれほど多くない集落なのですが、琉球ゴルフ倶楽部の殆どを占め、国道331号線を超…
沖縄県の難読地名の一つ『仲村渠』、これは『なかんだかり』と読みます。南城市の右下に位置する集落で、水場でもある仲村渠樋川が有名です。住民はそれほど多くない集落なのですが、琉球ゴルフ倶楽部の殆どを占め、国道331号線を超…
前回は大城の綱引きについてご紹介しました。その中で、大城は旧大里村の中で一番人口が多い集落であり、理由の一つに稲作が盛んだったことがあった、とご説明しました。沖縄ではかつて、サトウキビ畑よりも水田が広がっていたのですが…
南風原町の兼城十字路を南下し、親慶原交差点に繋がる県道86号線。南城市の真ん中を貫く主要道路です。食肉センターから少し進むと『大城城址』という看板が出てきます。この辺りが旧大里村大城集落になります。 大城は旧大里村の…
人口は少ないが常に子どもたちが大勢いた久手堅 前回、久手堅は小さい集落だったとご紹介しました。しかし、常に子どもが大勢いるのも久手堅の特徴なんです。理由はずばり、知念小学校と中学校があるからです。そして、かつての役場も…
斎場御嶽のお膝元・旧知念村久手堅。現在の入り口は『三代目』だった!? 沖縄本島最大のパワースポットといえば『斎場御嶽』ですね。年間約40万人の観光客が訪れる観光地でもあります。斎場御嶽は住所でいうと南城市知念久手堅に位…
『クジラ漁』の一大基地だった津波古馬天港 前回は津波古周辺が戦前戦後、基地の街だったことをご紹介しました。1960年代には撤退しましたが、それまでの津波古は南部でもかなり栄えた街の一つでした。基地があれば仕事がある、仕…
終戦直後、米軍にとって主要な軍港の一つだった津波古・馬天港 与那原から国道329号線を5分ほど南下すると、南城市に入ります。ちょうどその入口に当たるのが、旧佐敷町津波古です。『津波古』というY字路の交差点がありますね。右…
戦中は日本軍の兵舎や物資集積所、戦後は診療所や役場として使われた富里公民館 『富里(ふさと)』は、かつての玉城村役場があった場所なので、玉城村の中心地とも言える地域でした。歴史は古く、第一尚氏の第六代の王、尚泰久の長男と…
かつては県内屈指の米軍基地の町だった南城市一帯 『沖縄の米軍基地』といえば、宜野湾市や嘉手納町、北谷町、沖縄市、そして名護市辺野古などの中部から北部に集中しています。しかし、かつて旧玉城村(現:南城市)に米軍基地が存在…
沖縄県内屈沖縄県内屈指の「遠足のメッカ」だった『大里城址公園』 『大里城址公園』と聞いて「懐かしい~」と思った方はおそらく50歳以上の方のはずです。なぜならば、かつては沖縄県内における遠足のメッカだったからです。南城市大…