大城周辺に広がる水田風景。かつては稲作が主要産業だった。 / 南城市 旧大里村大城(その2)
前回は大城の綱引きについてご紹介しました。その中で、大城は旧大里村の中で一番人口が多い集落であり、理由の一つに稲作が盛んだったことがあった、とご説明しました。沖縄ではかつて、サトウキビ畑よりも水田が広がっていたのですが…
前回は大城の綱引きについてご紹介しました。その中で、大城は旧大里村の中で一番人口が多い集落であり、理由の一つに稲作が盛んだったことがあった、とご説明しました。沖縄ではかつて、サトウキビ畑よりも水田が広がっていたのですが…
那覇市でも『おしゃれな通り』として知られる浮島通り。入り口を入ってすぐの場所にあるのが『Cafe プラヌラ』。たくさんの紅茶や手作りケーキはもちろん、アンティーク調の店内の雰囲気に惹かれ、ゆっくりとした時間を過ごしたい…
南風原町の兼城十字路を南下し、親慶原交差点に繋がる県道86号線。南城市の真ん中を貫く主要道路です。食肉センターから少し進むと『大城城址』という看板が出てきます。この辺りが旧大里村大城集落になります。 大城は旧大里村の…
人口は少ないが常に子どもたちが大勢いた久手堅 前回、久手堅は小さい集落だったとご紹介しました。しかし、常に子どもが大勢いるのも久手堅の特徴なんです。理由はずばり、知念小学校と中学校があるからです。そして、かつての役場も…
イギリスの名物料理といえば『フィッシュ&チップス』。現地では至るところにお店があるほどメジャーなファストフードですが、沖縄でもようやく名前が知られてきました。その中でもフィッシュ&チップス専門店として2014年から営業し…
斎場御嶽のお膝元・旧知念村久手堅。現在の入り口は『三代目』だった!? 沖縄本島最大のパワースポットといえば『斎場御嶽』ですね。年間約40万人の観光客が訪れる観光地でもあります。斎場御嶽は住所でいうと南城市知念久手堅に位…
『クジラ漁』の一大基地だった津波古馬天港 前回は津波古周辺が戦前戦後、基地の街だったことをご紹介しました。1960年代には撤退しましたが、それまでの津波古は南部でもかなり栄えた街の一つでした。基地があれば仕事がある、仕…
やちむんのふるさと那覇・壺屋のやちむん通りに、約300年続く壺屋焼の窯元・育陶園があります。壺屋に生まれ育ち、家業である育陶園で経営全般に関わる業務統括を行う高江洲若菜さんは「壺屋やちむん通り会」に企画班を立ち上げ、壺屋…
終戦直後、米軍にとって主要な軍港の一つだった津波古・馬天港 与那原から国道329号線を5分ほど南下すると、南城市に入ります。ちょうどその入口に当たるのが、旧佐敷町津波古です。『津波古』というY字路の交差点がありますね。右…
戦中は日本軍の兵舎や物資集積所、戦後は診療所や役場として使われた富里公民館 『富里(ふさと)』は、かつての玉城村役場があった場所なので、玉城村の中心地とも言える地域でした。歴史は古く、第一尚氏の第六代の王、尚泰久の長男と…