― 簡単なプロフィールを教えてください。
1971年生まれ、中城村泊の出身です。中城城址公園のすぐ近くですね。北中城高校から沖縄国際大学に進学し、経済を勉強していました。実はこの当時はまだ、全く建築は触っていなかったんです。
― 普段はどんなお仕事をなさっているんですか?
設計部に所属して、アパートを中心とする設計業務を担当しています。ずっと設計畑なのですが、今は若いスタッフがたくさんいますので面倒を見たり、育てたりすることも重要だと思っています。
― この仕事を選んだきっかけはなんですか?
父親が建築士で、主に住宅建築を担当していたんです。とはいえ、父とは家で一切建築の話しをしませんでした。しかし、僕が大学在学中、父が病気になってしまい、やらなければいけなったというのがきっかけでした。運転手や雑用などからでしたね。それまでは、まったく建築に興味も何もなかったです。仕方なかったというのが、正直なところです。
ただ、当たり前ですけど、最初は何もできないですよね。なので、現場で職人さんとずっと話していることが多かったんです。でも、この経験はすごく良かった。僕らは図面は引きますけど、これがどう出来上がっていくかという過程はわからないんです。「お前が書いた図面はここが大変。だからこうすべきだ」と、職人さんが教えてくれたんです。これがすごく役に立ちました。
― なぜ大鏡建設に入社したのですか?
大学卒業後は父親の設計事務所を手伝い、その後、県内の設計・施工会社で働いていました。でも、全てが仕事や建築しかないという人生はどうなのかと思ったんです。やはりプライベートなども大切にしたい。
さらに、父親の会社を見てきて、設計だけではこの先仕事が無くなっていくので、施工も行っている会社の方がいいと思ったのと『地域密着』であることも。そこで、県内の建設会社などの求人を探して、ハローワークで紹介もらったのが大鏡建設でした。それまでの会社は数年しかいなかったのに、ここはもう13年目になりました。
祖母の介護をしていた頃に担当した介護施設の案件がターニングポイントに
― 印象に残っている、またはターニングポイントとなったお仕事はありますか?
大鏡建設入社後すぐの僕に、「担当はこの物件だ。なのでこれデザインしろ」と言われたんです。僕が何者なのかも知らないし、ましてはどんな仕事をするかもわからない状態で設計を任されたということもありました。
あと、老人介護施設に携わったこともターニングポイントになりました。正直、老人介護施設は造りとしては簡単なんです。ちょうどその当時、祖母が施設に入っていました。しかし、とても古くて快適とは言えなかったんです。なので、明るく快適なものにしてあげたいと考えるようになりました。その方にとって、一体何が『幸せ』なのかと。
― 仕事の中でどんな作業が好きですか?
住宅のプランを考えているときです。『ゾーンニング』という、手書きでどこに何を配置してどんな建物にしていくか、という作業ですね。東西南北を気にしつつ、風をどういう風に入れていくか、景色を見るにはどこにリビングを配置していくかなどを考えているときがすごく楽しいですね。
住んでいる人が使いやすい、住みやすいと思えるものを造ること
― 仕事に対して大切にしていることを教えてください。
僕らは『ハコ』を作る立場として、住んでいる人が使いやすい、住みやすいものを造るということです。お客様って『夢』は大きいじゃないですか。でも建築のことは詳しくないですよね。なので、出てきた要望について、必ず「なぜなのか」を確認するようにします。いくら夢でも、おかしいことはおかしいと指摘させて頂くことも大事なことだと思っています。
― 理想とする『沖縄のまちの形』はどんなまちですか?
内地に行ったときに思ったのですが、駅の周りにある、無機質な建物や緑と商店街がバランスよく配置された街はいいなと。沖縄だと熱帯ドリームセンターがすごく好きですね。
あと、住んでいる中城村泊の現実的な話になりますが、移動手段が弱いんです。なので、交通機関を充実させることも理想の一つなのではと思います。
― 好きな建物を建ててよい、と言われたらどんな建物を建ててみたいですか?
ドームの野球場ですかね。沖縄は雨が多いので、子どもたちの試合が中止になることが多いんです。あとは遊園地のような施設もいいですね。僕の地元の中城城址公園には昔、遊園地や動物園がありましたから。
設計士
1971年生まれ、沖縄県中頭郡中城村出身
大鏡建設株式会社 設計部 部長
https://daikyo-k.net/