沖縄県内で現存する最古の木造劇場(映画館)の『首里劇場』。
戦後まもない1950年の開館以来、70数年にわたり人々に娯楽と癒しを提供してきましたが、2022年に3代目館長の金城政則さんの逝去により閉館。今月より解体工事が始まります。
先日10月7日に解体前の最後の内覧会が開催され、最後の姿を目に焼き付けようと、1169人が足を運びました。
戦後の沖縄の復興が詰まった場所
首里の住宅街で、ここだけ時代が止まっているかのように佇む首里劇場。最後のその時を静かに待っているかのようでした。
現在の建物としての開館は1950年ですが、劇場そのものはそれ以前から「露天劇場」として営業していたそうです。
首里劇場を応援し続け記録保全している『首里劇場調査団』によると、露天から有蓋化される際、建設を担当したのが後に首里劇場の経営者となる金城田光さんが経営する『合資会社田光組』で、当時の規格住宅(俗に言う復興住宅)『ツーバイフォー』で余っていた木材を流用したそうです。
その時々で多少の増改築が行われてきたそうですが、創建当時の雰囲気が保たれています。
想像していた以上に天井が高く広々。
戦後の大変な中、復興の希望の光として劇場が出来、人々がここで娯楽を楽しんでいたこと、息づかいのような何かが身体に伝わってくる気がしました。
1950年開館当時の舞台引幕と広告看板
今回新たに発見されたという、1950年開館当時の舞台引幕と広告看板(地域の店舗広告)が展示されていました。
広告看板は1950年当時のものと思えないほど、保存状態が良くきれいでした。手描きの感じ、電話番号が2桁と短く(驚)、なんともカワイイです。
今も現存する咲元酒造(現在は恩納村に移転)、瑞泉酒造の看板は、よく見ると、この頃はそれぞれ”佐久本政良酒造場”、”佐久本政敦酒造場”という名前だったんですね。
そして有蓋化した首里劇場を建設し、後に首里劇場の経営者となる金城田光さんが経営する『田光組』の看板と金城田光さんの名前を見てなんだかグッときました。
沖縄戦後わずか5年ほどの時代、こうした商店も次々出来、復興に向かっていたことがうかがえます。
長い間ありがとう。お疲れ様でした。
スクリーンでは、首里劇場の歴史と在りし日の3代目館長・金城政則さんが出演するドキュメンタリー映像が上映され、多くの人が懐かしみ、そして名残りを惜しむように視聴しました。首里劇場、最後の上映会ですね。
内覧会当日は暑く、冷房の無い館内は多くの来場者もいたせいか、蒸し蒸し、じっとりとしていました。
じっとりした空気と埃っぽさ、独特の匂いと集まる人々。
戦争でたくさんのものを失い、それでも前を、上を向き、ここでひと時を楽しんできた人々と同じ時空間に居るような、そんな何かを感じることができました。
露天劇場に始まり、沖縄芝居や映画など、地元に娯楽やにぎわいを提供し続けてきた首里劇場。
70余年という激動の時代を過ごしてきた劇場は、静かにその幕を閉じていきます。
【首里劇場】
那覇市首里大中町1丁目5