かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)

かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2) おきなわアーカイブ

時代とともに色々なものが変化していきますが、大きく姿を変えていくのが『まち』そのものではないでしょうか?特に沖縄は、基地の影響や米軍統治など、歴史的に内地とは異なった独特なまちづくりが行われてきました。
そんな貴重な昔の風景を残しているのが、地域にたくさん眠っている『古写真』です。

「昔の沖縄ってどんな風景だったんだろう?」
「昔の沖縄はどういうまちづくりがされていたんだろう?」
「昔の沖縄の人はどんな生活をしていたんだろう?」

こんな疑問に応えてくれるのが古写真。そう、古写真は地域の歴史や事実を伝える『超一級の資料』なんです。この「おきなわアーカイブ」では、地域から集めた古写真など貴重な資料をもとに、意外な沖縄の歴史をご紹介していきます。
今回も南城市の『旧玉城村垣花』を取り上げます。

かつては賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた垣花

 垣花といえば豊富な水、それを利用した稲作、そして戦後は近くにできたキャンプ知念で、集落の7割もの人たちが軍雇用員として勤務、という歴史を前回ご紹介しました。ということは、かつて垣花は裕福な家庭が多かったこともあり、たくさんの行事が大切に行われてきました。その一つが「カジマヤー(集落全体で白寿を祝う行事)」です。

 今回は垣花で行われてきたカジマヤーの写真をご紹介します。まずは1961年に行われた森根マシさんのカジマヤーです。マシさんはなんと慶応元年(1865年)生まれ!日本ではまだ江戸時代、沖縄では琉球王朝時代です。

かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
平良礼次さんご提供。左が昭和36年にカジマヤーを迎えた平良マシさん。比嘉聰区長のひいおばあさんに当たる。その他の方々は妹さん?みなさんとてもご長寿だった。場所不明。1961年。
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
平良礼次さんご提供。昭和36年(1961年)10月16日。平良マシさんカジマヤーのパレード。棒術や三線演奏も見える。今の公民館の前か。
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
平良礼次さんご提供。森根(平良)マシ様、道ズネー(垣花バス停付近)。昭和36年10月16日(1961)。故平良新助61歳。正面は糸数商店
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
同アングル
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
比嘉聰区長提供。1984年。比嘉正七さんカジマヤーのパレード。棒術の方々を先頭に、行列は100mほどになったそう
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
同アングル
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
比嘉聰区長提供。1984年。比嘉正七さんカジマヤーのパレード。行列を先導する棒術。二列目の左が比嘉区長。区長は棒術の名手で、若者に教えていたそう。
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
同アングル
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
比嘉助郎さんカジマヤー。平成元年(1989年)。地域の方々の集合写真。建て替えられる前の公民館前で。まだ当時は一階建てだった
かつて垣花では賑やかで盛大なカジマヤーが行われていた!/ 南城市 旧玉城村垣花(その2)
比嘉ハルカジマヤー祝記念。2004年10月24日。垣花で一番最近行われたカジマヤーの集合写真。このときのカジマヤーは約136万円の予算がかかった

 キャプションでもありますが、カジマヤーはとにかく時間と予算がかかるということで、沖縄では近年、行われることが少なくなってきました。中には地域がやろうと勧めても、ご家族が遠慮して辞退するというケースも多いそうです。

 こんな背景もあることから、カジマヤーの古写真は貴重な記録として、非常に資料的価値の高いものとなっているのです。

(協力:南城市教育委員会  監修:沖縄デジタルアーカイブ協議会)